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羊の頭

SFと日記と。できるだけ無意味に書きます。

レイ・ブラッドベリ『火星年代記(新装版)』(ハヤカワ文庫)

つい最近、別れ話を切り出した夜に吹いた口笛は事の他大きく響いた。
昼下がり雨の止んだ一瞬に目の前を横切った黒い蝶は何か暴力性を帯びていた。
状況はその時々について異なる性質の時間を有しているのは勿論、その時間を通じて感覚を揺らがせる。
『今夜の大気には、時間の匂いがただよっていた。トマスは微笑して、空想をかけめぐらせた。ひとつの考え。時間の匂いとは、どんなものだろう。埃や、時計や、人間に似た匂いか。時間の音とはどんな音か。暗い洞窟を流れる水の音か、泣き叫ぶ声か、うつろな箱の蓋に落ちる土くれの音か、雨の音か。そして、さらに考えれば、時間とはどんなかたちをしているのだろう。時間とは暗い部屋に音もなく降りこむ雪のようなものか、昔の映画館で見せた無声映画のようなものか、新年の風船のように虚無へ落ちて行く一千億の顔か。』(「夜の邂逅」)

例えば、宇宙の時間の基本的性質は永遠である。その中では、どんな種類の時間も極小の幅しか持てない。私たちは語られる物語の中に一瞬の瞬きを、相対的に見出す。
『夜ともなれば、風は死んだ海底を吹きわたり、六角形の墓石のあいだを吹きぬけ、四つの古い十字架と、一つの新しい十字架の上を吹きすぎる。小さな石の小屋には明かりがともり、その小屋の中には、吠える風と、舞い狂う砂と、冷たく燃える空の星にとりかこまれて、四人の人影が見える。一人の女と、二人の娘と、一人の息子が理由もなく、暖炉の火をかきたて、話し合い、笑いさざめく。
来る年も、来る年も、毎晩のように、なんの理由もなく、女は戸外に出て、小手をかざして空を眺め、緑色に燃える地球を、なぜ見つめるのかも分からずに見つめ、それから小屋の中に戻って、暖炉に薪を投げこみ、風は吹きつのり、死んだ海はいつまでも死んだままに横たわる。』(「長の年月」)
長い時間、長い長い年月について思いを馳せていると、どうしても胸が苦しくなってくる。この苦しみはどこから来たのか、私たちの想いが一瞬でも在ることの苦しみか、一瞬にしか足り得ないことの苦しみか。双面の化物のように問いは何度も裏返る。永遠の命、想いの永遠化への渇望。しかし如何なる外部化された記録も強度が足りない。「百万年ピクニック」では、想いを継ぐのはやはり人間、連続的なGeneと物語の器であるとなったが如何に。

『仲間には理解してもらえない歌を歌い続ける「世界一孤独なクジラ」の発見を目指すプロジェクトの構想が持ち上がり、資金調達サイトで出資者を募っている。このクジラの呼び名は「52」。52ヘルツの周波数で歌っていることに起因する。もう何年もの間、この周波数を出し続けているのに、仲間からの応答はない。仲間のクジラは違う周波数を使っているため、たとえ「52」の歌が聞こえていたとしても、自分たちの歌とはあまりに違っていて理解できず、応答しないという。それでも「52」は歌い続ける。そこから「世界一孤独なクジラ」のニックネームが付いた。(中略)同サイトの説明によると、「このクジラの姿を見た者はまだ誰もいない。それでも存在することが分かっているのは聞こえるから」。(CNN)』

この話を見かけてから、「52」にとっての人間のような存在が、人間にとってもいてくれればいいな、と思う。さらにその種族は、全く異なる時間と空間のレンジを有しているのに、それでも私たちの想いを記録し、解釈し、自らのうちに混ぜ合わせることも厭わないのだ。
何と呼ばれるのだろう、彼らは。
火星人か、あるいは単に、神。